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1995年に54歳という若さで亡くなった俳優の川谷拓三さんの家族や息子さんは今はどうされているのでしょうか?川谷拓三さんの死因は何だったのでしょうか?気になったので調べてみました。
川谷拓三さんは1941年7月21日生まれ
満州新京出身 血液型A型
父親は日活のカメラマンだった川谷庄平、母親の二三子は女優という映画関係の両親のもとに三男として生まれます。敗戦により満州から高知県安芸市に引き揚げます。
定職が無かった父に代わり映画館の自転車預かり所で働く母親を手伝っていた川谷拓三さんは小さい頃から映画に親しみ、映画俳優になってやろうと決意したようです。
1959年に美空ひばり主演の映画「ひばり捕物帖 振り袖小判」で死体役としてデビューします。その後東映京都の大部屋俳優となり斬られ役や殺され役専門で死体を演じていました。
1963年10月には大部屋仲間の女優、仁科克子と結婚し一男一女を設けています。息子は俳優の仁科貴、長女も女優の仁科扶紀と家族そろって芸能関係の道をすすんでいます。息子の仁科貴さんは川谷拓三さんにそっくりです。
残念なことに仁科貴さんは2002年、31歳のときに大麻所持で逮捕され執行猶予の判決をうけています。
川谷拓三さんは任侠映画のチンピラ役としていたぶられたり殴られたりする迫真の演技が高評価を得て徐々に知名度も上がっていきました。1976年から15年間も続いた「どん兵衛」のCMでは山城新伍との絶妙な掛け合いでゴールデンアロー賞・話題賞を受賞しました。
1993年10月には映画「仁義なき戦い」シリーズの大ファンであるダウンタウンが司会を務める「ダウンタウンDX」の記念すべき第一回放送にゲストとして出演しています。「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコントに出演していたりダウンタウンの2人とは親交があるみたいです。
1995年6月に体調を崩し入院しますが12月22日に54歳という若さで亡くなります。死因は肺がんだったようです。名脇役として映画からお茶の間まであらゆる層に親しまれた川谷拓三さんのご冥福を祈ります。